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金光学園音楽部吹奏楽団の歴史5《1973年~1992年》


1973年(昭和48年)に佐藤正俊が就任し,この年はコンクール出場をやめ,定期演奏会を開くこととなった。以後,定期演奏会が活動の中心行事となる。85年に第3回日中青少年学生交流大会,90年に第1回日豪青少年学生交流大会に参加するなど活動を海外にも広げた。




86年には,アンサンブルコンテストにおいて木管五重奏での全国大会出場を達成した。また,1982年にはOBバンド結成,85年父母の会,90年後援会が発足し,以降,部の活動を支えていくこととなる。


 

コンクールから定演へ―ブラスの転機     (茅原嘉人マネージャーの記録)  昭和48年7月20日午後1時  「先生のお宅で高1,高2と先生とで数日前提案された「自分たちで自主演奏会を開こう」について,議論し,ほぼ賛成で決まった。そしてこの提案をどのようにして中学生に理解してもらうか話し合った。その結果,パートごとにパートリーダーが話して部員全体会議で採決することになった。」  昭和48年7月23日午後2時  「部員全体会議を行う。コンクールに出たい気持ちは残っていたが定期演奏会をすることで全員一致した。」



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