現在の活動の基礎が築かれたのが,昭和30年代だといえる。特に昭和37年に行われた第17回岡山国体では,開閉会式,ウエイトリフティング会場で演奏し,そのための楽器の充実に伴って活動は飛躍的になった。
音楽部だより40年第2号より
(萬木堯旺) 「「第1位,金光学園高等学校」のアナウンス。とたんに涙がポロポロ出てきた。僕は人に涙を見せるのは好きな方じゃないが,今度はだめだった。苦しかったことが,次々に思い出されてくる。(中略) もらった賞状とトロフィーの入った箱を抱えて駅まで行った。列車の中でトロフィーを見,賞状を読んでいるとまた涙が出てくる。あわててデッキに飛び出した。テープを持ち帰り何度も何度も聞いた。とにかくこれほどの感激は生まれて初めて味わったものだった。」
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